辞書を引く

「は〜い、お調べマンさん、お願い」と、家内は言葉の意味はわかっても、語源のわからぬ言葉に出会うと、わたしに調べさせる。最近では「そつがない」「こけらおとし」。
わたしは辞書で調べるのはおっくうではない。むしろ好きだ。辞書はたしかに人類の智恵のかたまり。
さっそく「日本国語大辞典」を開く。「そつがない」の意味は「手落ちがない」だが、語源は「損墜」、むだな費用のことらしい。「こけらおとし」は新改築劇場の最初の興行のことだが、語源は新改築の最後に「柿(こけら)・木の削り屑」を払い落とすこと。ついでに言えば「おっくう・億劫」は、未来永劫の「劫の1億倍」。そこから数えるのも「めんどうくさい」となる。
このごろは辞書を引かなくても、インターネットの検索でポンとクリックすれば、さっと情報が得られる。しかし辞書を引くとその前後の項目も目にとまり面白い。
どこかの国では娘の嫁入りに百科事典(エンサイクロペディア)を持たせたと聞いたが、辞書にはウエブの検索にない深みがある。
このごろは毎日のブログの終わりに聖句を引用するから「聖書語句大辞典」のお世話になる。この「コンコルダンス」(語句索引)は、感謝してもし尽くせぬ聖句の源泉。
「みことばが開かれると光が射し出て、無知な者にも理解を与えます」(詩篇119・130)