高知の町田さん

shirasagikara2006-06-02

高知の町田守正さんに電話した。町田さんは手足が少し不自由だが元気な声。
1947年、中野天神町の下宿で部屋が町田さんの隣りだった。お互いクリスチャンとわかり、わたしの4畳半で早天祈祷会を始め、たくさん賛美歌を教わった。
そのころ町田さんは、鷺宮の酒枝義旗先生の集会へ。わたしは別の集会へ。夜その日聞いた聖書の話をするが、断然酒枝先生の話が心に響く。わたしの聞いた話がスペードの5とすると、町田さんはハートのキング。1948年1月から酒枝先生に入門。日曜ごと肩を並べて鷺宮へかよった。だから町田さんはわたしの大恩人。
町田さんは、母校の土佐高校の教師になり帰郷。同僚に「くもん式」の公文先生がいた。その祖父・町田旦龍が高知県会議長という政治家の血をうけ、のち土佐山田町長2期、県会議員4期をつとめた。再び土佐山田町長を2期。全国町村会副会長もした。
町田さんは上京のつど来訪。二人で酒枝先生を訪問すると相好を崩して喜ばれた。
彼は町長や県議会の公務のさなかも、高知の土佐教会へ母上と毎週礼拝に出席。母上が健在のころ1泊し、朝いっしょにマタイ24章の「終末の予言」を読んだ。そのとき母上が「のう守正。この日のために備えをしようぞ」と言われた声を忘れない。
「友のふりをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(箴言18・24)
(写真は2004年春、土佐山田町で。右が町田さん、左が筆者)