かるい顔、重いかお

shirasagikara2006-06-04

2003年5月から「十二使徒群像」を彫っている。今年は正月からブログを追いかけ、彫刻は遅遅として進まない。これではならじと今日少しノミをとった。
だからテレビで人さまの顔を見ては、頭の中でなぞって彫っている。そして「かるい顔」や「重いかお」に気づく。
ホリエモンとか、目玉の大きな村上ファンドの何とかさんは「顔がかるい」。一瞬のすきを衝いて大もうけする落ち着きのない顔。お笑い番組の顔も軽い。
「重い顔」は農民、漁師の顔だ。しわが深く、日に焼け、自信にあふれ、足が地につき、手に作物や魚を自慢げにつかむ。
職人の顔もまたいい。研究者も同じだ。ひとつのことに打ち込んでいる「深いかお」だ。労働者もその持ち場で「真剣なかお」を見せる。
「たのしげな顔」は子ども。なにがそんなにうれしいか、思わずこちらも笑いを誘われる柔らかな顔。
「気の毒な顔」もある。イタリアの画家の贋作(がんさく)で、文部科学大臣までだまし、まだ否定する日本の画家の顔だ。
しかしひとの顔は突然かわる。イエスご自身も高い山で「顔の様子がかわった」し、モーセシナイ山で「顔の肌は光を放った」。イエスの福音がわかったとき、人は内から喜びがあふれ、「軽い顔」「重い顔」「深い顔」の上に「喜び」がくっつく。
「ステファノの顔はまるで天使の顔のように見えた」(使徒6・15)
(6月5日、村上世彰氏逮捕、洋画家・和田義彦氏・芸術選奨取り消し)