ぶらぶら歩き

きょうも、家内とぶらぶら歩きをした。別に何を買うという目的もなく、商店街やデパートを歩く。こんな店ができた。あの店がなくなったと話しながら。
このぶらぶら歩きの効用もある。家内が「新しい100円ショップよ。入ってみない」。入ると長く探していた「ひげそりブラシ」があった。しかも100円。それがけっこう使える。
まだある。商店街で家内が「1枚10円」の色柄ふきんを「安いわ」と、20枚つかんで奥へ消えた。ふと見ると「お一人様10枚」とある。わたしは中へ突進しレジに二人だと説明。
ある大デパートが、優秀な社員を外国へ長期出張させ、「ただぶらぶら外国を見て来い」と命じた。そのぶらぶら歩きがそのデパートを大きく育てたという。
目的をめざし、それに向って懸命に走るのもよいが、人生ときに目的もなく道をたどるのもよい。きっと新しい刺激と発見と充電がある。
聖書でぶらぶら歩きをしたのはイサクだ。「夕方暗くなるころ、野原を散策していた」とある(「創世記」24・63)。一人っ子の彼は母を失い寂しかった。ふと見ると妻になるリベカが北の国から到着。「イサクはリベカを愛し、母に代わる慰めを得た」。ぶらぶら歩きでいち早く会えたのだ。ぶらぶら歩きもいいものだ。
「妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる」(箴言18・22)