ぴったりの重さ・男と女

ふだんの風呂洗いは家内がするが、時にはわたしが大洗い。そのさい浴槽はもちろん、床、壁、窓、ドアから、ふた、桶、椅子、鏡、流し孔まで洗う。それでわかるのは、家事にはけっこう男の力仕事があるということだ。
家内はくるまと名のつくものには縁がないから、スーパーの買出しはわたしの出番。白洋舎を創られた五十嵐健治翁は「80歳まで自転車に乗りました」といわれ驚いたが、今わたしは81歳。重い買い物を前後のかごに入れ、長い坂をいっきに3段切り替えの自転車で駆け上がる。
聖書には、女性は男性を「助ける者」とあるが、男性も女性を助ける者だ。いや男女は助けあわなければやってゆけない。
「人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2・18)は聖書の言葉。この中の「助ける者」に注目すると、「父なる神」にもかみついた、米国フェミニスト神学者の「けしからん」の大声が聞こえそうだが、その前の「合う」の一句が大事だ。口語訳では「ふさわしい」。
これは「匹敵する」「ぴったり同じ重さ」の意味だ。シーソーの端に男女がそれぞれ乗ってつりあっている状態。男女は神の前には同格。しかしそれぞれ優劣があり働きがちがう。それは差別でなく区別だ。互いに尊重し愛し助ける。
きょうも風呂をゴシゴシ洗う。そのあとスーパーだ!「男はつらいよ」。女に弱い。
「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はない」(第1コリント11・11)