おにぎり教会

「ごはん炊けたから、おにぎりつくって」と家内の声。越後の長岡からいただいた、魚沼産の本場「こしひかり」だ。たしかに炊き上がっためしが光っている。
地域社会の男性が何か大仕事で出かけた留守、女性が「にぎりめし」を作る姿をテレビで見るが、作るのにけっこう力がいる。力のない家内だと崩れてしまう。3合のごはんでわたしは12個ほど握ったが、足をふんばり両手に力を入れて、梅雨どき汗ばむほどだ。
この「にぎりめし」ほど、日本人の口にあう非常食はない。ぎゅっと詰まったごはん、適度な塩味。梅干、昆布、鮭の具。そして海苔。いまやコンビニの売れ筋。
さらさらしたつぶつぶの米粒が、柔らかなごはんに炊け、それを握りしめると、まるで初めから一つであったかのように、しっかりした存在感で胸を張る。
キリストの教会も同じだ。ひとり、ひとりの人間が、一つところに集められ、罪を洗い清められ、煮られ、沸き立つ喜びに立ち上がる。その上、主イエスの御手に握りしめられ、胸のうちに福音の深い味を押し込まれる。そしてみなさん、まるで初めから一つであったかのような顔で向き合っている。わたしたちは「おにぎり教会」。いいね。
「(かしらであるキリストにより)節と節、筋と筋とによって支えられ、結び合わされ、神に育てられて成長してゆく」(コロサイ2・19)