福音を恥としない

shirasagikara2006-06-17

使徒パウロが、「わたしは福音を恥としない」とローマの「家の教会」に手紙を書いた当時(ローマ1・16)、キリスト教徒は、ひそかに礼拝に集まり、人肉を食べ、血をすすり、魔術をおこない、陰謀を企て、反税運動をすると誤解され、悪く言われていた。

「恥としない」というのは、ひどい悪口をいわれても、それはうそだと見抜き、かしらをぐっと挙げている態度だ。
永年、わたしの木曜集会へ来られたふたりの姉妹がいる。敬愛するクリスチャンだ。父上は日本共産党初代委員長。民衆のため勇敢に闘われたが逮捕され永く獄中。
ために東京の府立女学校は「国賊の娘」として彼女らの入学を拒んだ。キリスト教東洋英和女学校は「父上は偉い方」と受け入れた。このふたりの姉妹は父上を「恥じた」だろうか。めちゃくちゃ社会から悪口をいわれても、父上を恥じなかったと思う。
その父上は、のち獄中転向して共産主義を離れた。そのため日本の敗戦後、共産党からめちゃくちゃにたたかれた。それでもふたりの姉妹は父上を「恥なかった」に違いない。いま共産主義も色あせ、国家権力と共産主義を批判しあらがった父上を「りっぱ」とお思いだろう。社会の評価、悪口の中に真実を見抜こう。
「ののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです」(1ペトロ3・16)
(写真の「不恥福音」は内村鑑三の書)