電波時計と一点一画

この春、白洋舎創業100周年記念式典で、電波時計をいただいた。
手のひらに入る小型だ。しかもふたを裏返せば机に立てられ、月日、曜日、温度まで出る。電波時計は、その名のとおり、標準時間が衛星から電波ではね返ってとどくから、1秒のちがいもない。
横浜でバイオリンを作っている中村良樹さんら、芸術家は時計などもたず、時間を超越して仕事をしているが、ちまちました人間のわたしは、あちこち時計がないと、かえって落ちつかない。わが家では、居間、寝室のほか、トイレ、洗面所、風呂場にも置く。ぱっと目線を上げたところに時計があると、「よし、あと何分」と仕事をする。
わたしは時計好きだが、これまでかなり正確であればこと足りた。だから、時計が1分進み、2分遅れと狂っても気にならない。しかしまったく正しい時刻が一つ、いつでも分かるのは心づよい。1秒の狂いもないのはまるで聖書の「一点一画」の鋭さだ。
この「完全な正しさ」は神さまのもの。正確な電波時計を見て「これが正しい」と言うように、わたしたちが少しずつ間違った歩みをしていても、「一点一画」をなおざりになさらない神さまから「これが正しい」と示されるのだ。しかし「わかっちゃいるけど、やめられない」わたしたちのため、イエスは「悔い改めさせて」「救うために」十字架で死なれた。
「天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消えさることはない」(マタイ5・18)