登りたい話、降りたい話

shirasagikara2006-06-20

さくらんぼ届きぬ出羽のひかり溜め」(宮脇白夜)
もう4半世紀もまえ、ニューヨークの街角で米国のサクランボを買い、その大きさと、甘さ、安さに驚いた。フィラデルフィアまでの列車のなか夢中で食べた。
いまは日本のスーパーでも「アメリカン・チエリー」で売り出している。日本のサクランボより大粒で、安いため、日本産の出荷が終わったころ店頭にならぶ仕掛けらしい。
あるとき山形県の産地で、はしごで木に登り、サクランボの食べ放題に案内された。おいしくて、卑しいまでにむさぼり食べた。こんなにサクランボはおいしいものかと。
聖書の話。心にしみる話、一度聞いたら忘れられない話、みんなにこの味すてきでしょうと教えたくなる話、またしても聞きたくなる話、笑いだすほどうれしくなる話。みな木(教会)によじ登り聞きたい話。
聖書の話。長たらしい話、眠くなる話、難しい話、右の耳から左に抜ける話、時間の無駄だったと後悔する話。みな木(教会)から下りて逃げ出す話。
日本のあちこちの教会、集会から「おいしいサクランボ」でなく、「まずいサクランボ」に閉口する声が聞こえる。反省せずばなるまい。おのおのがた。
「わたしはあなたの掟を楽しみとし、み言葉を決して忘れません」(詩篇119・16)
(写真上は日本産、下は米国産のサクランボ)