他流試合ができるキリスト教会を

いまドイツでサッカーのワールド・カップが開催中です。日本はすでにオーストラリアに敗れ、クロアチアと引き分けました。ふつか後には強豪ブラジルとの対戦です。もう背水の陣。
スポーツにかぎらず、どの分野でも、この広い世界で他流試合をしてこそ、本人の力がわかるし養われます。そこで勝ったり、負けたりして、さらに力をつけるのです。
わたしは時代劇ファンですが、江戸時代、剣術の道場破りがいました。そこの門弟に試合をいどみ、師範まで打ち負かして道場の看板を持ち去る話がおもしろいのです。ふだん道場では威張っていた師範代や、師範までが、素浪人に苦もなくうち負かされるのですから。そのため他流試合を禁じた流派もありました。しかし他流試合をしないと「おやまの大将」になりがちです。
キリスト教会とて同じこと。ある教会ですごく尊敬されている牧師がいました。その方がある場所で定期集会をつづけたそうです。ところが急病で倒れ、まったく別の教会の方が担当しました。するとそこの集会責任者は「前の牧師先生の話に、みな寝てしまうのです。間違ったことを話されるわけではありませんが、だれも興味を持てないのです。集会をすればするほどキリスト教をおとしめます。やめて下さいとも言えず、病気交替でほっとしました」と語ったそうです。
「やめてくれてほっとされる」牧師、伝道者は、他流試合に堪える力がないのです。せまい自分の教会や集会で、おやまの大将では、世界大会、全国大会はおろか、地方予選も戦えなません。他流試合で勝ち、また負けて、さらにキリスト讃美力、証し力、伝道力が養われるのです。
「お前は、神と人と闘って勝った」(創世記32・28)