浅田正吉・召天50周年

shirasagikara2006-06-22

6月21日は、伝道者・浅田正吉が天に召されて満50年の日だ。
生前有名な方でも死後50年もたつと、急速に忘れられるもの。いま浅田正吉の名を口にする人もまれだ。じつは、これこそ彼が衷心から願ったことだ。自分の名が消え、主イエスの名があがめられることのみを願って、彼は生涯主に仕えた。
彼は21歳で伝道に立つ決心をする。自分にその資格がないと悩みつつ、内なる力に押しだされ、英国人宣教師ブランドの門をたたいた。伝道に志す真剣な青年をみつめ、ブランドは「アナタ、ダメデショウ」と突き放す。しかも二度までも。
これまでわたしは、たくさんの伝道者、牧師を見てきた。しかし浅田正吉のような伝道者に出会ったことがない。どこが違うか。その信仰の深さだ。ひとしくキリスト信仰といっても、広い信仰、強い信仰、深い信仰と、信仰のたちがちがう。深い信仰はキリストとの交わりが深い。そこから深いイエスの「お値打ち」が語りだされる。
東京から浅田正吉が伝道に来ると聞くと、地方ではみな大喜びして待った。わたしの父などイエスさまの次ぎくらい尊敬していた。わたしの胸から「左の頬をむけよ」の棘を抜き、「そんなことが、すらすら出来るようなら、キリストは十字架で死ぬ必要はなかった」とさとしたのも浅田正吉だ。
「み子は神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現われ」(ヘブライ1・3)
(浅田正吉・あさだまさよし/1878・明治11−1956・昭和31 78歳)