41歳からのくるまの運転

40年前の1966年6月、勤務先の皇居一周5000㍍競技に張り切りすぎて、左足腰手術の古傷が痛んだ。歩けるうちに、よしくるまの運転を習おうと決心。年末に運転免許取得。当時わたしより歳が上の方はもちろん、歳下でも免許を取る人は少なかった。マイカーの夜明け時代。
最初はトヨタ・パブリカ800㏄。つぎはスバル1000マツダ・ファミリア1200。ホンダ・シビック1500。さらに日産や三菱とかわり、トヨタ・マークⅡワゴンで中型に。
初めて新車を買ったのは、父を乗せて関西旅行するためで1991年のこと。三菱シャリオ。
くるまのおかげで偉い方々をお乗せした。酒枝義旗先生が「堤岩里教会事件謝罪」に韓国訪問のさい羽田まで。また韓国の思想家で反政府の大物・咸錫憲(ハム・ソクホン)翁を、関根正雄先生と共に麻布の国際文化会館から、杉並の関根宅までお送りした。「たといそうでなくても」の安利淑さんの主人・金東明牧師をホテルまで送ったこともある。天沼の政池仁先生をおたずねすると「君くるまかね。じゃあ、そこまで頼む」と、あの笑顔で言われると断れない。奥様は「主人はくるま好きで、人使いが荒くって」と笑顔。
75歳でくるまをやめた。くるまで信仰のことをいろいろ学んだ。運転習ってよかった。
「子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした」(ルカ19・35)