無知の罪

高校生が家に火をつけて、母・妹三人が焼死する事件があった。息子は成績問題で苦しんでいた。それに医者の父は「気づかなかった」。夫の定年を待って離婚しようと決めている妻がけっこういるという。しかしそれに「気づかない」ダンナ。
前に「気にならない能力」という文章を書いた。散らかった部屋が「気になって」整理するのも一つの能力だが、散らかりが「気にならない」のも一つの能力だと。
「気づかない」と「気にならない」はちがう。「気づかない」は「愚か」で、相手を傷つける。「気にならない」は、気づいていながら問題にしない態度で「愛」に到る。
きれい好きの女性でも、子どもがふたりもいると、散らかりが「気にならない」。整理より子育てのほうが大事になるからだ。それは愛だ。
わたしたちも、周りの苦しみに「気づかない」ことが多い。それは「無知の罪」だ。
小泉総理は、靖国神社を参拝して何が悪いかと言う。これは中国や韓国の古く深い傷に「気づかない」態度だ。それは家に放火した子どもの心の深みに「気づかなかった」父と似ている。中国、韓国の歴史の深みへの無知から起こる愚かしさだ。
総理は批判を「気にしない」というが、これは「問題なし」の態度。これぞ「無知の罪」。
「見えると、あなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」(ヨハネ9・41)