軽井沢の別荘での集会

むかし藤尾家にも別荘があった。それも旧軽井沢669番地。愛宕道の森のなか。
父・藤尾英二郎が洗礼を受けた宣教師 S.E.ヘーガー先生が、数十年日本の関西地方で伝道されたあと、定年を迎えられ、1940(昭和15)年、米国へ帰国されることとなった。父に財産一切の処分を任せたが、軽井沢の別荘だけが残った。新幹線もない時代、関西人には軽井沢は遠すぎたのだ。父はそれを買う決心をし、ヘーガー先生と二人で軽井沢へ行った。
200坪ほどの敷地に総二階50坪の洋館を見たあと、父は英語聖書を開いて創世記24章50節をヘーガー先生に見せた。
「The thing proceedeth from the Lord: we cannot speak unto thee bad or good.」(このことは主から出ず。われら汝に良し悪し言うことあたわず)。
先生は飛び上がって喜ばれた。当時38歳の父は「あなたの導きでキリストを信じ、楽しく一所懸命に働けた。別荘を買うなど小さいこと」と答えた。
1949(昭和24)年夏、この別荘で酒枝義旗先生を中心に聖書講習会を開催。敗戦からまだ4年。米塩は各自持参、野菜は現地調達。参加者は男性12名、女性10名。夢のように楽しい聖書の学びと交わりの4日だった。その中から、のち待晨堂の市川昌宏・とも子、気象庁長官になった内田英治・栄子のカップルがうまれた。
1951(昭和26)年、その別荘を売って、今の白鷺の土地・家屋を買って、わたしたち新婚夫婦が住んだ。そこで酒枝義旗先生の日曜聖書講義が1954(昭和29)年から4年間つづけられ、12帖の和室に人はあふれ、先生は床の間に上がって語られた。1957(昭和32)年、父母が上京し、以来伝道好きの父により、またわたしの家庭集会により、どれだけ聖書の集会が開かれ、賛美の声が起こったかは、みなさんご存知だ。軽井沢の別荘を父が信仰により買う決断をしたことが祝されたのだ。
「主ご自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」(詩篇127・1)