緊急入院の娘の病状

娘のやよりが、くも膜下出血で6月24日緊急入院した。それが1週間後の30日に目が開いた。10日目の7月4日には右手で字を書いた。7月5日は車椅子で売店までゆけた。主のあわれみと、内外から祈りの集中放射を受け、支えられ、生かされている。感謝。あとは口が利ければいい。「凌霄花(のうぜんか)ひらきぬ娘の口ひらけ」。
やよりは藤尾家の初孫だ。耶蘇(ヤソ=イエス)に依り頼む意味で「やより」と名づけた。「耶依」としたかったが1955年当時、人名漢字に「耶」の字がなかった。
親からみて努力家。英語が好きで1年米国の大学に学んだあと上智大学に転入。大学卒業と同時に、沖電気の米国の会社勤務・宮本努と結婚して渡米。フィラデルフィアの日本人教会に10年あまり交わった。ピーター島田牧師の時代だ。米国で男児、女児が与えられた。
その宮本家に、わたしの長男も、妹の三人の甥や姪も世話になりつつ、みな米国各地の大学を出た。やよりは「いとこ頭」だった。
1991年に帰国して、運輸省の外国人通訳ガイドの資格を取り、日本中を走り廻った。その案内途中の発病でなく感謝。また毎月外国出張する主人が家にいた朝で感謝。
このあと、どこまで癒されるのか。癒されて感謝。癒されずとも感謝。
「ことの起こるとき、わたしは常にそこにいる」(イザヤ書48・16)