娘の病状報告・話ができた

shirasagikara2006-07-09

娘のやよりが、くも膜下出血で入院手術したさい、執刀の医師は2週間たつと、その後の判断ができると話した。
その言葉どおり2週間目の7月7日、娘は4人部屋の一般病室に移された。食事も口から食べられ、右手で字も書け、まだ表情はないものの、少し話せるようになった。
わたしたち夫婦がその部屋に入ると、ちょうど7月7日が主人・宮本努の誕生日だったので、カードに5歳の子どもが書いたような字で書き散らしていた。「おたん生日おめでとう」「こんなになっちゃって」「フルーツポンチ」「ヤサイスティック(絵入り)」「Love you Yayori」「こうなるはずでした(ケーキ、料理の絵)」。
少し遅れて、その努と、娘のマナ、それにマナが米国で幼稚園、小学校時代の親友・サラ・マッディンが入ってきた。じつは6月17日にサラが成田に着いたとき、やよりはサラを迎えたのだ。サラが英語で話すと、やよりも英語で答え「日本を案内してあげたかったのに残念」というと、サラは涙を流し、やよりも泣いた。わたしと日本語で話すより、英語のほうが話しやすそう。やより、サラ、努、マナの4人が英語で小声の会話。前日いとこたちが見舞ったときも「遠いところをありがとう」と紙に書いた。自分は米国にいるつもりらしかった。
ここまで癒され、主に感謝。病院のスタッフに感謝。祈ってくださった方々に感謝。
「神はそのなさることを、いちいち説明されない」(ヨブ記33・13)
(写真は左から、藤尾尚子、宮本努、サラ、マナ、やより)