召天1週間前の藤井武

藤井武が天に召された1930年7月14日の1週間前、酒枝義旗先生は自宅に藤井先生を招待し4時から夜10時ころまで歓談。ふつか後藤井は病気再発。新聞に死亡記事が出た。酒枝先生は自分の責任のように感じ、泣きながら桜新町の先生の家へ走った。
じつはその年3月、酒枝先生は自宅で小宮英子と挙式。司式はまだ独身の藤井同門・小池辰雄(のち東大教授)。新婦は先生の信仰の友人・小宮孝(のち関西学院院長)の妹。
当時貧しかった酒枝先生は、数名の友人への招待状に畳が汚いから新聞紙持参と書いたので、ある女性が座布団を寄贈。しかし療養中の藤井武は招かず、7月にずれた。
その夜の話題は、藤井武と内村同門の植木良佐医師が、その年3月11日に藤井先生宅で挙式され、心から十字架を仰ぐその態度が中心だった。「医者は勝手なものだ。病気で寝ているぼくを階下に運び司式させて、終わると絶対安静だと二階へ上げる」と笑われた。
また「酒枝君も貧乏で苦労するだろうが」とこんな話をされた。「伝道生活が窮乏し、私は餓死してもいいが子どもはと考え、大学の恩師に就職依頼に行った。ところが不在。また祈って耐えたが困窮。もう一度依頼に行く矢先、その恩師死亡の新聞記事。神から一撃を受け、家族餓死しても神を仰ぐ心に導かれた」と。藤井武こそまことの伝道者。
「主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます」(詩篇38・16)