「3分しか」「3分も」

ある方が電車で東京駅に着いたとき、自分の乗る東京発の列車は出発3分前。その列車には落ち合う友人が待っている。「3分しかない」と思ったが、「3分あるぞ」と、電車のホームを駆け下り、列車の階段を駆け上がり、発車寸前の客車に飛び乗った。
この「しか」と「も」で、その後の行動がかわる。
エスの弟子は荒野で5000人の群衆を前にして、パンは「たった五つしかない」と思った。イエスは「五つもある」と見られた。この違いだ。
日本のクリスチャンは人口の「1%しかない」と見るか、「百人に一人もいる」と見るかで考えが変わる。全国津々浦々まで押しなべて、百人に一人はけっこう多い。
鈴木正久牧師が、酒枝義旗先生に「先生の日曜集会に何人くらいお集まりですか」と聞いた。「はい、6、7人も来てくれています」と先生はうれしそうに答えた。鈴木牧師は「6、7人も」という発想は牧師にはなく「6、7人しか」というはずだと、周りにもらした。
「3分もあるぞ」「パン五つもあるぞ」「6、7人もいるぞ」というとき、そこにすごく力がこもっている。「3分も」で列車に間に合い、「五つも」で5000人が満腹し、「6、7人も」から今の待晨集会がうまれた。「しか」でうなだれるな。「も」で奮い立て。
「パン五つと、二匹の魚しかありません」(ルカ9・13)