靖国と歴史認識

5年前の2001年8月15日、小泉総理が初めて靖国神社に参拝しようとしたとき、わたしは「危険な門(鳥居)をくぐるのか、後でくぐらなければよかったという門を」と書いた(2001・7「しらさぎ通信/いや、喜びです」所収)。また「朝日新聞」の「声欄」にも投書した(8月2日朝刊掲載)。
そして5年。きのうロシアのサンクト・ペテルブルグで閉幕したG8の会合でも、最後に招待された中国の胡錦涛国家主席と、総理は会話もできない有様。「くぐらなければよかった門」をくぐったつけだ。小泉総理在任5年、中国、韓国との外交は凍りつき、財界から不満が噴出。
なぜそうなったか。中国、韓国と日本との、国際関係史の無知が原因だ。両国の近代史に、どれだけ日本国は土足で踏みこみ荒らしたか。その認識の低さだ。
ちょうどキリスト教の伝道を「クルセード(十字軍)」とよぶ、米国教会の十字軍への歴史認識の低さと同じ。「クルセード」がイスラム圏のひんしゅくを買い、靖国参拝は中国、韓国の反発をうける。なぜか、土足で両国に踏み込んだ親分が、靖国に祀られているからだ。
A級戦犯が祀られてから、天皇も参拝をひかえている。その賢明さに総理は学ぶべきだ。神道であれ、キリスト教であれ、その深い歴史の根を無視すれば、しっぺ返しを受ける。
「無知な者は愚かなことを喜び、さとき者はまっすぐに歩む」(箴言15・21)