乗松雅休、五十嵐健治、朴泳孝

韓国人の女子学生が二度たずねてきた。聞けば東京の国立大学の大学院に留学中で、日本人の朝鮮伝道を調べ、乗松雅休にたどりつき、立ち寄った西荻窪の待晨堂書店の市川店主からわたしを紹介されたそうだ。
生前無名の伝道者・乗松雅休。1921(大正10)年に59歳で天に召され、もう85年もたつのに、韓国の女性が修士論文に書くという。乗松さんは、自分を隠そう、主イエスを押し出そうと一所懸命だったのに、いま主が彼を押し出される。
乗松さんは、1896(明治29)年に朝鮮伝道に向かうが、その前年の春ごろ、新潟県の燕近郊の豪農・土田橘十郎の邸内に住み伝道していた。
ところが同じ年の夏8月、五十嵐健治が北海道の小樽で受洗したと聞き、新潟から船で小樽に向かった。五十嵐健治はのち白洋舎を創業して有名になるが、当時19歳の白面の青年。なんという愛。しかも健治は函館に移転し不在。健治はあとで知り感動する。
また当時、土田邸には朝鮮亡命者・朴泳孝(日韓併合後に侯爵)がかくまわれていた。後藤象二郎から頼まれたらしく、奇正館という邸内の道場・伝道所の扁額を象二郎が書いている。ここで乗松さんと朝鮮がむすびつく。若き日、朴も乗松も明治学院で学んだ。話は合ったはずだ。乗松さんは朴から朝鮮の情報を聞き、朝鮮伝道の一つの契機になったかも。
「隠されているもので、知られずにすむものはない」(マタイ10・26)