30年、これが同じ教会か

「10年ひとむかし」というが、ひとつの教会でも30年たつと、これが同じ教会かというほど変わる。牧師も伝道者も代わるし、有力な信徒も様変わりする。新しい会員がどんどんふえたり、逆にみるみる減ったり。
たとえば原始キリスト教会。「使徒言行録」の1章は、ほぼ紀元30年ころ。最後の28章のパウロのローマ入りは紀元61年。たった31年で、こうも変わるかというほど原始教会は変貌する。
最初はエルサレム教会の、ペトロ、ヤコブが中心だった。午後3時になると神殿に参拝する「神殿キリスト教」だったのに、6章あたりから、外国帰りの広い世界を知った、ギリシア語のできるヘレニストが教会内で台頭する。その中心がステファノ、フィリポだ。
8章で大迫害が起こるが、奇妙にもエルサレム本山の保守教会は安泰。そして福音は神殿から離れ「無神殿キリスト教」の様相を帯びる。ここでパウロさんの登場。福音の担い手はペトロからパウロにバトンが渡され、教会は外へ外へと動き出す。
そしてあのパウロの3回の伝道旅行は、紀元46〜56年の前後わずかに10年。そのあと、パウロの逮捕、監禁、船での護送、難破、ローマ入りはご存知のとおり。
つまり「使徒言行録」の始めと終わりで30年が経過しただけで、とても同じ教会と思えぬほど変わっている。現在の教会も変わって当然。しかし教会は変わっても、イエス・キリストはつねに新鮮。
イエス・キリストは、きのうも、今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブライ人への手紙13・8)