タルンデロ

ある日本人の伝道者が韓国で日曜日に聖書の話をした。月曜の朝、韓国の信者に案内された国立博物館は休館。車から出た韓国人数人は激しく議論。韓国語のわからない日本人に理解できたのは「タルンデロ」の一語。
「タルンデロ」は、日本語では「たるんでる」(たるむ・怠ける)に聞こえる。その方はこんな観光をして「たるんでる」と言われたものと考え、恥ずかしい思いにされた。
そうではない。韓国語で「タルン」は<別の>、「デロ」は<場所で>だから、さあどこへ行くかの相談で口角泡を飛ばしていたのだ。
とにかく韓国人は街角でも、バスの中でも、いや教会の中でも、大声で議論する。つばがかかるくらい顔を寄せてやる。しかし感心するのは、あとはさっぱりしている。
あるとき、ソウルで音楽会に案内された。その閉会とともに友人はタクシーにわたしを押し込んだ。ところが車は動かない。友人と運転手は5分も激しく口論。運転手は「行く先は先日タクシー運転手が殺された場所、いやだ」。友人は「外国人を案内している。警察で話そう」。ついにあきらめた運転手は車を出した。
そのあとが見事。友人と運転手がにこやかに会話を始めた。日本なら口もきかずスピードをあげるところだ。バンバン主張するが、根にもたない韓国人の大きさと激しさを見た。やはり大陸の民だ。
「(パウロバルナバと)意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになった」(使徒15・39)