原爆忌

shirasagikara2006-08-06

「荊冠に似るドームの頭(ず)原爆忌」(宮脇白夜)。61年前のきょうヒロシマに原爆。
当時香川県にいたわたしの部隊は、高速艇で連絡将校を宇品の船舶司令部に派遣。「新型爆弾」で広島壊滅の情報。理科出身の兵隊が「たいへんだ!原子爆弾だ!」と騒いだ。
その2年後の秋、わたしは友人を広島に訪ね1泊。友人は米軍がケロイドの被害調査はするが治療はせず、一切原爆の残忍さを公表させないと批判。1947年のその夏も、市民はやっと建てた店先に、血染めのシャツを並べ米国や日本政府に抗議したという。
日本人が原爆の無残さを知ったのは、米軍占領終結後の1952年の「アサヒ・グラフ」だ。目を覆う惨状。空襲爆撃の比ではない。当時ドイツのフランクフルトに留学中の大里富雄君にこれを送ったところ、ドイツ人も息を呑んで驚いたという。
米国が原爆被害を隠すのは、やはり戦争終結のためという大義を掲げながらも、その想像を絶した悲惨さに、うしろめたさを感じるからであろう。
しかし、この放射能汚染被害を隠蔽する体質は、湾岸戦争で米軍が使った劣化ウラン弾や、米国内や、太平洋の島々での原爆実験場周辺被曝者をさらに苦しめることとなった。
いまの日本は、受けた被害でなく、核兵器と人類の将来に的を絞って訴えるべきだ。
「第1の天使がラッパを吹いた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け」(黙示録8・7)