麻生外相「靖国社案」批判

9月の自民党総裁選に出馬予定の麻生外相が「靖国神社」改革案を示した(8月5日各紙)。骨子は「靖国神社は自主解散」「非宗教法人の財団法人化」「国立追悼施設・靖国社とする」「全国52の護国神社支部」。
他の二人の総裁候補が、たんに靖国に行く、行かぬというだけに比べれば、具体的と評価するむきもあるが、わたしは実現不可能と思う。
第一は靖国神社の立場から。靖国神社は1974年、高さ25メートル、耐用年数1200年という大鳥居をつくった。それは靖国が国営になりその宗教色は薄められても、鳥居に象徴される神社神道の伝統を守りぬこうとの決意のあらわれだ。それは今も同じ。
第二は国の立場から。もし国立施設になれば宗教色は除去が必要。それが1974年5月の「衆議院法制局見解」だ。これに衝撃を受け靖国神社は国営を断念し、ただ総理の公式参拝にこだわるようになる。
もし国立施設だと「おみくじの頒布」「祝詞(のりと)の奏上」「降神・昇神の儀式」「修祓(おはらい)」「神楽(おかぐら)」「二拝二拍手一礼」「神職の名称」「鳥居の名称」は廃止か検討を要すると指摘したのだ。根こそぎの神社神道の否定だ。
麻生案でこの神社と国家の調和は至難のわざ。靖国でなく新国立追悼施設を造るべきだ。
「知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」(使徒17・23)