最良の戦争より最悪の平和

きょうは61回目の「敗戦記念日」だ。「終戦」ともいうが、これは「全滅」を「玉砕」に、「敗走・退却」を「転進」に言いかえた、日本のリーダーの現実をまっすぐ見ない精神のひ弱さのあらわれだ。
61年前のこの日の夜、四国の兵舎の外の民家に、いっせいに明かりがついた。ああ平和が来たという実感がわいた。米軍の空襲の恐れはなくなったのだ。
なんと平和はいいかと思うのは、戦争の悲惨を知っているからだ。しかし日本が平和になったその日から、とぎれることなく世界で戦争はつづいた。中国内戦、朝鮮戦争ベトナム戦争中東戦争から、湾岸戦争イラク戦争、そして最近のイスラエルヒズボラの戦いまで。
だからこそ61年の日本の平和が尊いのだ。しかし戦争を知らないリーダーが、政界をはじめ経済界、思想界にもあらわれ、日本の冠・平和憲法を改正して自衛隊を軍隊にし、海外派兵を考えるようになる。
日本が世界第2の経済大国になれたのは、日本人の賢明さと勤勉のほかに、憲法の平和主義に守られたおかげではなかったか。たしかに戦争は破壊を、平和は建設をもたらす。数十年戦争がないとその国の力は飛躍的に伸び、戦争はその逆だ。だから「最良の戦争より最悪の平和がまさる」という、エラスムスのことばを思い出す。平和は神様の贈り物。
「ああ幸いだ、平和をつくり出す人たち、彼らは神の子とよばれる」(マタイ5・9)