聖書暗号文

聖書で暗号文が送れます。まさかと思うでしょうが、ほんとうにあった話です。
むかし日本の軍隊では、兵隊が家族に出す手紙はすべて係官が検閲しました。とくに戦地から日本に送る通信は、軍の機密がもれないように、いっそう検閲がきびしかったようです。
ところがある方は、その検閲をくぐって、中国の前線から聖書で家族に情報を伝えたのです。そのときは、「来年の三月、内地に帰還」という内容を送りました。
そのさい「聖書の言葉を贈ります」と前書きしたあと、「創世記一八章一〇節」「使徒行伝二八章一一節」「エレミヤ書三章二二節」としるしたのです。
検閲する下士官は、聖書など見たことも、読んだこともありません。しかしキリスト教のありがたい本だということぐらいはわかっていますから、信仰の本ならいい。聖書の言葉ならよかろうと「検閲済」の判をポンと捺すのです。
内地にいる奥様は、「検閲済」の判が捺された葉書が届くと、さっそく聖書を調べ、「創世記一八章一〇節」には「来年の今ごろ」とあり、「使徒行伝二八章一一節」には「三カ月後」としるされ、「エレミヤ書三章二二節」には「われわれは、あなたのもとに参ります」と書かれているので、その意味をさとるのです。うれしい便りです。
その方は、この方法で、何度か「聖書暗号文」を送ったと話されました。
ただし、この聖書の暗号文のやりとりは、「聖書語句索引」など便利なものがない戦地では、よほどふだんから旧新約聖書を、くり返し読んでいる者にしかできない芸当です。
じつは、その聖書そのものが、神さまからわたしたちへ送られた「暗号文」なのです。聖書は、字が読めるものならだれでも読めます。しかしただ読んでも、けっこうむずかしくてわからない箇所があります。しかし「聖書の暗号解読法」は、「キリストの十字架と復活」という鍵を手に握ると、たちまち聖書全体の暗号が解ける仕掛けになっています。むずかしいようで、単純な書物。それが聖書です。「聖書はわたし(キリスト)について証しするものだ」(ヨハネ五・三九)