拉致(らち)と連行

朝日新聞」8月18日夕刊は、「強制連行忘れないー中国・天津に記念館」の見出しで、 18日にオープンした「在日殉難烈士記念館」を写真入りで報じた。そこには6800人余の死者の名が刻まれたという。
岩波新書「中国人強制連行」(杉原達著・2002年)によれば、北は北海道の稚内から、南は鹿児島県まで、全国135の事業場で、中国人が戦時労働力として連行、酷使された。
しかし朝鮮人強制連行の数は、中国人の比ではない。わたしの友・朴慶植君は「朝鮮人強制連行の記録」(未来社)を1965年に出し、この問題に火をつけた歴史家だが、彼が悲憤やるかたない口ぶりでわたしに語ったのは、野良で仕事をしている青年を、警官がつかまえてはトラックで連行する日本の非道さだった。始めは仕事だと誘ったがのちは拉致だったという。
いま日本人が北朝鮮に家族を拉致されたと抗議するのは正しい。その悲しみは深い。しかし、日本に拉致された、おびただしい朝鮮人や中国人の家族の悲嘆をわきまえた上で主張すべきだ。
イスラエル人も、北のアッシリアや、バビロンに連行、拉致された。詩篇にはその悲しみの歌がある。「お前の神はどこにいる」とあざけられ、ヨルダン、ヘルモン、ミザルと故郷を離れる悲しみを歌った(42−43編)。拉致された彼らの母や妹たちの嘆きを想う。
「歌って聞かせよシオンの歌を。どうして歌えるか、主のための歌を異教の地で」(詩篇137・3)