甲子園・選手と応援団

きょう、第88回・全国高校野球選手権大会勝戦が、北海道の駒大苫小牧高校と、東京の早稲田実業で戦われ、15日間の大会の幕はおりる。
夏の甲子園は、日本人にとり特別なものだ。たんなる野球場ではない。「甲子園の土を踏んだ」。これが一生の宝になる。だから負けた選手も甲子園の土を持ち帰る。
テレビで大写しになる選手の表情がいい。真剣な打者の目、ピッチャーのこれが10代かと驚く肝のすわった顔、金もうけとは無縁の顔だ。
夏の甲子園で、日本中、郷土愛がわきあがる。全国くまなく代表が出るからだ。それがつぎつぎ姿を消すと、東、西、南、北の日本で応援する。この応援がすごい。スタンドの大応援だけでなく、地元あげての支援だ。こんな光景は世界にない。欧米やアジアにもない。ほかのスポーツにもない。甲子園独特のものだ。
この応援団がキリスト教会にも、会社や、学校も大事だ。いざという時すぐ駆けつけて身銭を切って支援する人々だ。その応援団のまん中に、戦う連中がいる。教会でいえば、伝道者や牧師、走り回る信徒たち。会社や学校では校長や教員、社長や社員。応援団と選手の関係がいい集団ほど強い。選手つくりだけでなく、応援団づくりも大切でないか。
「このように、おびただしい証人の群れに囲まれている」(ヘブライ12・1)