帰りたい

8月5日、救急車で河北病院に入院した母が、きのう、はつかぶりに帰宅した。
入院中も「帰りたい。ぞうりを持ってきて」と言ったりした。同室の60歳台の女性から聞こえるのは「帰りたい」の言葉。食堂では「すぐ広島へ帰らねばならん」と老人が叫んでいる。認知症のようだ。90歳で召された父も、入院中「病院の廊下にタクシーを入れてくれ」と、無茶なことを言っていた。みな帰りたいのだ。
母は8月23日、満104歳の誕生日を病院で迎え、内外から届いた、たくさんの誕生祝いのカードを枕元にはってもらい、食堂では看護師さんらに「ハッピーバースデイ」を歌っていただいた。
8月25日、介護タクシーで帰宅した母は、ベッドに寝かせてもらい「ここはどこ」「自分の家」。すると「バンザイ」と声を出した。わたしは両手を持って三回「バンザイ」させた。安心したのか、そのあと口を開けてねむった。
「帰る場所がある」のはすごいこと。自転車旅行家の木下滋雄君は、アフリカで行き逢った外国人が、スポンサーの資金で走っているため、もう6年も自宅に帰れず「帰りたい」と嘆く声を聞いた。自分はいつでも帰る場所があり、待っている家族がいる。
そうだ。「神の国」という帰る場所があり、主が待ってくださるのはすごいことだ。
「神を信じなさい。わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある」(ヨハネ14・2)