愛子さまが笑った

オランダに8月末まで静養中の皇太子一家のテレビを見た。
あの「笑わぬ愛子さま」が笑っている。日本では那須の別荘へ行くときも、学習院幼稚園に入学するさいも、にこりともしなかった顔が満面の笑みだ。これが子どもというもの。
大人は笑えぬときでも笑顔はつくれる。頬の筋肉を上げればいい、しかし子どもにはそんな芸当はできない。だから「笑わぬ愛子さま」が気にかかっていた。
欧州のメディアはきびしい。ドイツの雑誌は「雅子妃は離婚が一番」と書き、ほかの新聞も「皇室伝統のしがらみと、皇位継承者問題の重圧」から逃れての静養と、的を射た解説。おりしも秋篠宮妃は出産をひかえて入院。男子誕生との予測が有力。
「日本一幸福そうにみえて、日本一つらい一家」が皇室かもしれない。身分ある人の常として自由が制限されるのは、ある程度やむをえないが、せめて欧州の王家なみの自由はほしい。「ジョージ出て来い!」と王宮前で群衆が叫ぶと、エリザベス女王の父君は窓から顔を出し、北欧の王様は街へ買い物にでかけた。じつに人間らしい。
日本の皇室に欠けているのは、この人間らしさだ。雅子妃の回復も、愛子さまの笑顔も、望みはそのへんにあろう。
「神は、王を退け、王を立て、知者に智恵を、識者に知識を与えられる」(ダニエル2・21)