「ロマ書」の二つ折り

新約聖書の「ロマ書」は全16章。これを一枚の紙として、半分に折ると1−8章と9章−16章になる。それも向かい合わせに折らず、背中あわせに折る。ロマ書の「背中合わせ二つ折りの透かし読み」。これが私なりの「ロマ書の読み方」だ。
「軋みつつ福音の扉押しひらくパウロのロマ書あなすさまじき」
「ロマ書」は(1−2章)で「人間はダメだ」というが、(3章)で「キリストのまこと」を発見する。これがパウロの喜び、力の源泉だ。それが1−8章を貫く。そのまことが(4章)のアブラハムの義認、(5章)のキリストの命につながり、(6−7章)の身分違いや、信仰の大揺れをへながら、(8章)の大安心となる。つまり1−8章は大喜びの前半だ。
「軋みつつ福音の扉押しひらくパウロのロマ書あなおもしろや」
(9章)は一転「悲しい」という。こんなうれしい福音を受け入れないイスラエルを悲しむ。(9章以下)は、背中合わせにした(1−8章)の福音の喜びを透かして読むのだ。
だから一番の中心は(3章)の「キリストのまことの発見」だ。「キリストを信じる(下からの)<信仰によって>救われる」のでない。「(上からの)キリストの<まことにより>救われる」。どこまでもキリストが、始めで終わり。
「神はキリストを、なだめの供え物として差し出されました。これは血を流すまでの彼(キリスト)のまことによるのです」(ローマ3・25 前田護郎訳)