背丈がのびる

さきごろデパートのエレベーターで、10人ほどの女性と乗り合わせたが、うち7、8人の若い女性はみな私より背が高い。電車でもそんな女性が、つり革ではなく上の棒に手をかけているのをよく見かける。たしかに男性だけでなく、女性も身長が伸びた。
しかし皆がみな伸びたわけでない。背の高い女性がふえただけ、背の伸びない女性の悩みもあろう。いや背の高い女性にも悩みはある。
わたしは小学生のころ、背は一番低いほうから2番目だった。身体検査で身長を測るさい、わたしより低い友が1人いることが慰めだった。しかし小学生のころ背が伸びる人、中高校生で伸びる人、いや、徴兵検査で150cmに足らぬ小男だったのに、20歳をすぎてから180cmの大男になった人もいる。わたしは徴兵検査のころは少し伸び162cmで第1乙種合格。だから背の低い悩みはわかる。
この身体にかんすることは、本人の意思にかかわらず、その容貌とともに、どうすることもできない。あれこれ批評すべきことではない。つまり外見のことだ。
人のねうちは外見ではない。高かろうが低かろうが、いきいき生きているかどうかだ。だからこそ、美貌で、健康で、背丈も、身分も高い雅子妃が、生き生きされてないのがあわれでならない。
「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2・52 )