木彫・途中の楽しみ

shirasagikara2006-08-31

かれこれ3年あまり木を削っている。高さ80㎝、直径30cm、胴まわり90cmの桜材だ。そこに12使徒の全体像が、不出来ながら、うしろ側まで荒削り姿でようやく立ち現れた。
10年前、メトロポリタン美術館で見た12使徒群像に衝撃を受け、わたしも死ぬまでに彫りたいと願った。木彫はまったくの素人。帰国して朝日カルチャーに一年通い、美術大の先生に手ほどきを受けた。そのとき女性の頭部を一つ彫った。そのあと、3つ4つ小品を彫り、いま12使徒に挑んでいる。
上段は3人。ペトロとアンデレの兄弟立像。ユダは危なげに交差したオリブの枝にうずくまる。中段に4人。ヤコブヨハネの兄弟。マタイとフィリポ。このフィリポは旗持ち。「ΙΧΘΥΣ」(イエス・キリスト・神・子・救い)の三角長旗を背面になびかせる。下段は5人。トマス、バルトロマイ熱心党のシモン、タダイ、小ヤコブ
この8月、ノミと槌で毎日トントン汗を流した。面白くて1時間は手を下ろせない。出来上がりもうれしいが、彫っている<途中の楽しみ>も大きい。削りすぎて「しまった」と思うことが多い。しかしそこが木彫の面白さ、失敗からまったく別の形が出てくる。
キリスト信仰も、この<途中の楽しみ>がわかれば、毎日、毎日が失敗しながら、楽しくてしかたなくなる。
「道で話しておられるとき、、、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24・32 )