雅号・ペンネーム

わたしの父の本名は「藤尾栄治」。しかし「英二郎」と自称した。7人兄妹の次男で、兄が夭折したため、英二郎にしたらしい。だから旅券や死亡届けなど正式書類は「栄治」で、息子でもまごついた。
それに裏千家茶道では「宗羊」と名乗り、また「讃羅逗庵」とも称した。「さんらず」とは、新約聖書の第1コリント13章4、5節の「愛は<誇らず><高ぶらず><憤らず>」の、「三つ」の「らず」。「三らず」の当て字だ。
むかしの方はこういった雅号で文章を書いた。1989年「恥はわれらに ほまれは神に<キリスト同信会の100年>」をわたしが執筆したとき、雅号が判明しなければ、だれの文章かわからない。調べた結果はこうだ。
乗松雅休「水原生」。林寛治郎「細雨」。松本勇治「一滴」。平野浅之助「若草」。早川谷次郎「不朽」。宇津木勢八「霊水」。浅田正吉「掬泉」。浅田又三郎「肩羊」。金太熙「小石」。小川礼一「渓水」。花房飛虎ニ「天民」。また浅田正吉は書の揮毫には「蘇園」を用い、五十嵐健治も色紙には「謙堂」と号した。
正岡子規などペンネームは54もあり、編集者泣かせだった。その一つに「面読斎」がある。読んで字のとおり「メンドクサイ」。呵呵大笑。
ヤコブと兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、「雷の子ら」という名を付けられた」(マルコ3・17)