天国と極楽

「極楽」の文字が、新聞・放送など日本のメディアから消えて久しい。替わって登場したのが「天国」だ。極楽はどこへ行ったのか。これは仏教信者の極楽信仰があやふやなあらわれではないか。
サザエさん」が鋭い4コマ漫画を画いた。第1コマ「坊さんがサザエさん宅の仏壇でお経をあげている」。第2コマ「坊さんがワカメの頭をなぜて仏さまの話」。第3コマ「ワカメの母親が坊さんにビールをすすめると<おことばに甘えて>と飲み出す」。第4コマ「坊さんが酔っ払って<地獄極楽なんて、死んでみにゃわからん>ともろ肌ぬぎ。おやじの波平が<あなたの話は酔ってから味がある>」。
こうして極楽が消えるのはいい。しかし日本では天国の安売りがはじまった。「歩行者天国」はすでに定着し、交通遺児の「天国にいるパパへ」の出版。航空機事故で死んでもみな天国行きだ。いつか「天国いいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ねえちゃんきれいだ」という歌さえ流行した。天国という言葉が先走りして、その内実がとらえられていない。
天国はだれしもすいすい入れるところでない。キリストを信じた者は死ねば主のもとに挙げられる。主に背を向けた者は最後の審判をまたねばならない。だから福音伝道が大事になる。だれしもすいすい入れるなら、キリストは十字架で死ぬ必要はなかったのだ。
「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9・27)