104歳の母

shirasagikara2006-09-15



14日あさ、小雨のなかを今年も田中大輔・中野区長が、母へ敬老のお祝いにおいでくださった。100歳以来5回目だ。

100歳記念に「藤尾貞子 百寿バンザイ」を出版したところ、それを見て台湾から「第1回・全国老人照顧研習会」に100歳の日本代表として招かれ、台湾のテレビや新聞に出た。

今思えば、100歳のころは元気だった。102歳までは、わたしの住む2階へも上がれた。103歳をすぎて日中ソファで寝ることが多くなり、移動は車椅子になった。そして104歳の夏からまったく立てない。指も口にとどかない。

ほとんど妹が世話をしているが、毎日、朝9時、晩7時半に介護士が、3時に看護師がこられ、週1回入浴サービスをうけ、月2回医師の来診がある。

しかし目で近くは見える。耳も右耳に小さな補聴器を入れてなんとか話せる。また柔らかいものを少しずつだが食べられる。耳元で「いつくしみふかき」を小声で歌うと、くちびるが動く。お祈りすると「アーメン」という。「ここはお国をなん百里」は、5番くらいまで口を合わせられる。やはり明治の女性だ。

ひるまも口をあけて、いびきをかいて寝ていることが多いが、日曜日、家内とわたしと3人で礼拝をすると、いつもいい顔になる。孫やひ孫に愛され、大事にされている。主の祝福の104歳。

「主を畏れれば長寿を得る」(箴言10・27 )