格差社会と簡素な生活

まもなく5年半の小泉総理の時代が終わる。彼の功績もあった。「自民党をぶっ潰す!」と叫び、派閥順送りの閣僚選任をやめたこと。銀行の不良債権処理の目鼻をつけたこと。道路公団の談合や公共工事にメスを入れたこと。是非は別として郵政民営化を断行したこと。
しかし、靖国神社参拝には確信犯のような意地をはり、外交を凍りつかせたのは失政だ。また、規制緩和やリストラで正社員からパートにされた階層が貧困化し、全国民中流意識がくずれ、格差社会が生まれたと批判されている。
しかしまだ日本は世界で格差の少ない国家だ。もし格差があるとしても、人間の幸不幸は貧富と比例しない。いやむしろ逆の場合が多い。
豊かな日本の子どもより、貧しいアジア、アフリカの子どもたちの目がキラキラ輝く。そういえば日本でも、貧しい敗戦後の時代、かえってみな生き生きしていた。
もちろん格差是正は必要だし、社会政策も大事だ。しかしこのあいだまで「清貧の思想」が説かれていたのに、その簡素な生活の喜びはどこに消えたか。マスコミの罪だ。
エスは言った。「富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である」(ルカ6・24、25)。
「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい」(ヘブル 13・5 )