升田名人とイエスの核心力

わが家から歩いて数分のところに小公園がある。将棋名人・升田幸三と、もう一軒の屋敷あとを区立公園にしたものだ。
その名人一家と、阿佐ヶ谷から満員バスでいっしょになったことがある。あのひげづら和服袴姿の名人と、わたしとのあいだに、小学生の坊ちゃん。名人の後ろは奥様。
「いいか、<さん、きゅう、ろく、しん、に>だ」と、名人が子どもに教えている。始めはわからなかったが、バス停の順番だ。「さん」は阿佐ヶ谷北3丁目。「きゅう」は第9小学校。「ろく」は阿佐ヶ谷北6丁目。「しん」はルーテル神学校前。「に」は鷺宮2丁目。ご自分の下車するバス停。わたしなど考えもしない発想。
将棋は、さきのさきのさきを読み込まなければ勝てない。そのさい複雑な盤面をつかみとる能力が大事だ。つまり核心をにぎる力だ。升田名人は「布石は大局、着手は小局」という名言を残している。
エスの核心をつかむ力はすごい。あの山上の説教で三つのことを教える。第一は「霊の貧乏人」こそ、わたしの一番の愛の対象。だから最初に出てくる。第二に、君たちはこと霊について豊かでないが「ハッピーなのだ」。第三は「天に神さまがいられる」、心配するな。だめな人間が、ハッピーなのは、天の神様を仰ぎ、神と垂直の関係で生きれば、鳥のように、花のように、自由で美しいと、生き方の核心を教えた。
「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカ10・42)