最初のひと口と、50年の味

最初のひと口は、どうしてこんなにおいしいのか。
出されたメロンをスプーンでひと口ふくむ。唇と歯と舌のあいだを走る果汁の甘さ。焼きたての蒲焼の焦げた皮と白い身と、たれの利いためしを、箸でひと口挟んだ舌を焼くうまさ。渇いた喉にビールが流れる最初の一杯。この最初のひと口のあとは、同じくおいしいことは、おいしいが、どんどんいただくだけ。
新婚のころ家内がまるで弾むボールに思えた。頼むと「はい」と答えてすぐ叶えてくれる。自分の手足が伸びた感じ。それから半世紀。いま家内の存在は空気と同じ。そして人は空気なしには生きられない。それなのに人は空気に改めて感謝しない。
最初のひと口もうまいが、50年の濃い味も格別。古いワインは香りが違う。味わい深い。「女房と味噌は古いほど良い」は日本の古諺。
聖書は「あなたは初めの愛から離れてしまった」(黙示録2・4)と、最初の感激がうすれ、信仰が惰性化した態度を警告する。
「初めの愛」と「今」をどうつなげばいいか。最初と終わりを一つにするのだ。「きょう初めて」という感動と、「きょうが最後」という思いをつなげば、信仰50年の味を「日々に喜び、常にその前に楽しむ」(箴言8・30)ようになる。
「 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(第1テサロニケ5・16)