「アーメン」「ごもっとも」

今はむかしの明治時代、萩の長州藩士の家に生まれたお方が、ヤソ(イエス)を信じてヤソ教徒になった。しかし、どうしても声を出して「アーメン」と言えない。バターくさい「アーメン」は士族になじまない。教会では、賛美歌の最後や祈りのあとに、会衆が声をあわせて「アーメン」という。当時、ヤソ教をひやかして「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」とはやし立てた。
「アーメン」は、「ほんとうに」「たしかに」「わたしもそう思う」という意味だ。だから賛美歌を歌い、「ほんとうに、この気持ち」とアーメンを唱え、祈りを聴いて「わたしも同じ」とアーメンという。イスラエルでは、会話で相づちを打ち「そうね、ほんとうね」というとき、「アーメン、アーメン」という。
この士族の御仁は、牧師に「アーメン」の意味をたずね、「ごもっとも」と言うことにした。「ごもっとも」は「もっとも(尤も)」の丁寧語だが、人の言動を肯定して納得する表現だ。「アーメン」を「ごもっとも」にするとは、まことにごもっとも。
しかし、祈りを聞いてアーメンと言えないときもある。ある教会での祈祷会で呪いの祈りを聞いたときだ。激しい信仰の韓国人女性の祈りだった。また教会に通い始めて、まだキリストが分からないとき、無理に「アーメン」と言うことはない。心から言えるまで口をつぐんでいればいい。
「どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか」(第1コリント14・16)