本といっしょ

出かけるとき、1冊本を持つのが永年のならわし。ポケットかカバンに1冊忍ばせていないと、武士が刀を忘れ腰がさびしいように、忘れ物をした思いになる。
むかしは文庫本や、新書本でよかったが、年をとって目が弱くなり、活字の大きいのを選んでいる。しかし、読む片っぱしから忘れてゆく。
このごろは、3Bの太短いいエンピツを読んだ箇所にはさんで、太い輪ゴムでタテにとめる。これでエンピツは落ちないし、すぐつづきが読める。あとでエンピツで傍線を引いたところをたどれば、おおよその内容も思い出せる仕掛けだ。
きのうも、娘のリハビリ病院を見舞ったが、片道1時間はかかる。往復でけっこう読める。家内は横で車中瞑想。
思えば本との付き合いは長い。勤め始めが国立国会図書館だから、本に囲まれての幸せな毎日。それも調査局という職場で、司書ではない。国会議員相手に、本を貸すのでなく、本を読むのが仕事。国会で問題になりそうなことを予測して調べたり、議員や秘書の質問に答えたり。原稿を書いたり、翻訳したり。
それに書庫に入れば、日本一という古今東西の本が待っていて、自由に借り出せる。同僚には、借り出して読んだ本の定価を記録して、「今月は○千円読んだ」と喜ぶのもいた。
本は面白い。教えられる。目が開かれる。しかしくり返し読み飽きないのは聖書だけ。
「多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる」(伝道・コヘレト12・12)