銃撃されたアーミッシュ

10月2日、米国ペンシルバニア州アーミッシュの学校に、銃を持った男が侵入し、女生徒ら4人を殺害し自分も自殺した。
そのさい並ばせられた10人の女生徒のうち、一番年長の13歳の少女が「わたしから撃って」と年下をかばい、その妹も「次ぎはわたしを」と言ったという。自殺した犯人の家族を、殺されたアーミッシュの人々がたずね、「ゆるし」の手を差しのべ、殺された子どもたちの葬儀にも招いたという(「朝日新聞」10月7日夕刊)。
わたしは2回ほど、このランカスター郡のアーミッシュをたずねた。馬車をあやつる男性や女性の黒ずくめの写真は撮るなといわれた。その見学用の集落は300年変わらぬ生活様式。電気を使用せず電話もないが、風車水車による蓄電池の電気は利用して農産物の保存に使う。米国内で災害が起こると、まっさきにかけつけボランティア活動をする。教会堂はなく民家を使い礼拝。
再洗礼派のメノナイトから、ヤコブ・アマンが分かれたためアマン派となり、アーミッシュと呼ばれた。メノナイトやクエーカーと同様、絶対平和主義で、欧州で迫害を受け、クエーカーのウイリアム・ペンが、アーミッシュの農業技術を評価して移植させたらしい。
人々は「今の文明の世に」という好奇心と、「やはりすごい」という畏敬の思いで見つめる。300年、いや宗教改革以来500年変わらぬ信仰姿勢に脱帽。古いが新鮮なのだ。
「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」(第2ペトロ3・8)