神さまの指紋、見〜つけた

沢口靖子主演の「新科捜研の女」というテレビ番組が好きだった。科学捜査もずいぶん進んだもの。証拠の決め手のひとつが「指紋」だから、犯人はふき取るが、さらに発見する技術があらわれる。この「指紋」は目には見えない。それを発見するのはすごいこと。
さて神さまにも指紋があると気づいた。旧約聖書の「詩篇」8編を読んだときだ。
そこにはこうある。「あなた(神)の指のわざを、わたしは仰ぎます」。その「指のわざ」とは「月」「星」のこと。さらに「人」「羊」「牛」「獣」「鳥」「魚」などだ。これらが「神の指のわざ」とすれば、その一つひとつに、神さまの指紋がついているはずだ。しかし残された指紋は見逃しがち。
じつは新約聖書でも、イエスさまは「神さまの指」「神の指紋」をひとしく見ていられる。「空の鳥」「野の花」をよく見なさいと言われる(マタイ6章)のは、「神の指のわざ」を見よということだ。じっとみつめれば「神さまの指紋」がみえるはずとの教えだ。
ぼんやり見れば、きれいな花、星、月に過ぎない。しかし思いをこらせば、すべてに神さまの「み手」が見え、その「指」が見え、さらに目を皿のようにして見れば「指紋」までみえる。
わたしたちも「神さまの指紋、見〜つけた!」と、身の周りに刻印された神の指紋を、ここに、あそこにと探してはどうか。
「主は神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。」(出エジプト31・18)