ふえて感謝、減って感謝

聞くところによると日本のクリスチャンの数は減っているという。あの元気がよかった韓国の教会も頭打ちで減少気味と聞いた。これはいいことだ。経済でも、教会でも、いつも右肩あがりで成長をつづけられるわけがない。
日本の教会は、いつでも成長し、大きくなり、数もふえねばならぬと、伝道、伝道と、強迫観念にとらわれていた。減ったら、こりゃたいへんと心配する。この数を問題にする心こそ問題なのだ。それはこの世の企業の考えと同じだ。
これは、でっかいこと、偉大なことを賛美する偶像崇拝にほかならない。大教会に大勢の信者があるとそれを誇る。少ないとそれを恥じる。数はけっして誇ったり、恥じたりすることではないはず。
大事なことは、その中身にこもるよろこびだ。最近も聞いたが、教会や、集会で、うれしい福音の話が少なく、むずかしい説教や講義が多いとか。たまに聖書にもとずき福音のよろこびが話されると、聴衆はほっとするという。たしかにうれしい福音が語られなければ、一人去り、二人去り減るだろう。ここに、聖書のコトバを語る者の責任がある。
逆にたとい少数でも、そのなかに、はちきれるよろこびがあれば、すごい教会だ。教会はふえて感謝、衰えて感謝となったとき、大きな主の手のなかに憩い、奮闘できる。
「兄弟たち、なおいっそう励むように勧めます」(テトス3・14)