人いろいろ、立場いろいろ

あるとき青森県の古い歴史をもつ教会に案内されました。
驚いたことは、正面の講壇の脇に「原子力施設受け入れ反対」と、大きな紙が下がっていたことです。案内されたかたは、自分の身内が県庁でこの仕事をしており、このごろ教会に足が遠のいているという話でした。
教会にはいろいろな方が集まります。性格もちがいます。のんびりした方。せっかちな方。頭の切れる方。ぼんやり屋さん。社長さんもいれば、駆け出しの平社員もいます。えらい学者もおれば、ふつうの主婦も多い。自民党を支持する人、民主党に投票する人。なかには共産党の政策がいいという方。政治の考えもさまざまです。
しかし、キリストにあって、集まっています。主にあってひとつです。
それが「原発反対」を教会のスローガンにすれば、「原発賛成」の方は排除されます。もし教会の牧師がそれを主張すれば、それに疑問を持つ方を、キリストとともに締め出していないでしょうか。
もしキリストを拝むか、天皇を拝むかといった信仰問題なら、教会を挙げて反対すべきでしょう。しかしこの世の問題は、青年会で議論するならともかく、講壇脇の柱に掲げるべきではないと思いました。
「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(エペソ4・5)