コンヤ(イコニオン)の回想

10月17日、トルコのコンヤで日本人観光客を乗せたバスが横転し死傷者が出た。ちょうど10年前の1996年春、わたしたちはカッパドキアからコンヤをへて、イズミール(スミルナ)まで1500キロをバスで移動した。
その旅の車中「シルバー大学」を開講。尾上守夫さんは「老年に向かう今こそパソコンを始めよう」とのすすめ。わたしと白石勝應さんがそれを聞いて決心。井崎昭治さんは自身が模写していた「法隆寺金堂壁画火災の話」。渡辺信雄さんは「デジタル通信の話」。松田信雄さんは「第二ボスボラス大橋」の建設にかかわった話。
コンヤは使徒言行録でパウロが伝道したイコニオンだ。パウロはここに長く留まり伝道したが迫害され町から逃れた。コンヤ郊外には、聖書外典の「パウロ行伝」にまつわる信仰女性・テクラ山が、パウロ山と並んでいた。
コンヤではホテルのトルコバスに、尾上、白石、藤尾の三人が挑戦。湯船はなく蒸し風呂だ。サウナでひと汗かき、大きく天井も高く大理石ずくめの清潔な部屋へ。中央に6角形の大理石の台があり4、5人は横たわれる。とても暖かい。やがてまわりの壁際にいる屈強なヒゲずらの男に体じゅうを洗われる。韓国のモギョクタン(沐浴湯)の垢すりよりよほど荒っぽい。三人は裸のつきあいだ。信仰も裸の心の付き合いが大事でないか。
「二人はイコニオンに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った」(使徒14・3)