高校世界史の授業と歴史認識

10月26日現在、全国35都道県の291の高校で、必修の「世界史」などの授業が行われず、このままでは三年生が卒業できないと、校長や生徒があわてている。大学受験に力をいれるあまり、ウソの報告をしていた校長の責任は重い。なぜ世界史担当教師が抗議しなかったのか。4年前から違反していた岩手県立盛岡第一高校は石川啄木の母校。
「盛岡の中学校のバルコンの欄干(てすり)にも一度われを倚らしめ」「教室の窓より遁げてただ一人かの城あとに寝にゆきしかな」「不来方(こずかた)のお城のあとの草に臥(ね)て空に吸はれし十五のこころ」
世界史は暗記が多くてたいへんと、受験科目のみに励む心から見れば、この先輩が授業を抜けて空を見ている心はばかげている。しかし啄木の心は広く空に吸われ、世界史抜きの受験勉強は人生の視野狭窄(きょうさく)を生む。
政治家は歴史認識で中国・韓国とやりあっている。世界史の知識、とりわけアジアの近現代史の理解が浅いからだ。わたしたちは歴史の中に生きている。理科・文科をとわず、歴史を学ばず視野狭窄のまま大学を出て、会社や公務員になって仕事をすれば、歴史からしっぺい返しを受ける。
聖書とりわけ旧約聖書を学ぶのは、アブラハムを始めとする歴史を学ぶのが土台だ。
「いにしえの日々をわたしは思います/とこしえに続く年月を」(詩篇77・6)