北海道が、笑った、泣いた

プロ野球の「北海道日本ハム」球団が日本一になった。北海道中が燃えた。泣いた。笑った。バブル経済がはじけ拓銀は破産。鈴木ムネオ問題、警察の機密費不正使用など、北海道は沈みがちだった。日本ハムの優勝は、その暗いムードを吹き飛ばした。
北海道は日本全土の20%を占め、東北6県に新潟県をあわせた広さだ。オランダの倍近く、アイルランドほどの面積がある。わずか130年前まで深い原始林におおわれていた。明治維新になり、北のロシアの南下を防ぐため開拓使が設置。米国から農務長官も勤めたケプロン将軍が招かれ開拓方針が決まった。
その一つが農科大学の創設。それが札幌農学校だ。1976(明治9)年、米国州立アマスト農科大学学長のW・S・クラークが、1年間の休暇を取って教頭に着任。決別の辞「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」はあまりに有名。そのあと、大島正健や、内村鑑三新渡戸稲造らの偉材が札幌バンドをつくった。
わたしがある方に頼まれて書いた一文が、当時の北海道開発局の目にとまり、1953年「開拓使時代の北海道」の冊子になった。またそこから「若き日の内村鑑三」の戯曲を書き、酒枝先生の待晨集会で上演。気象庁内田英治さんがシーリー総長を演じ、頭に歯磨き粉をかけ、画家の井崎昭治さんの智恵遅れ児はそのままの名演。北海道の思い出はつきない。
「大地よ、大地よ、大地よ、主の言葉を聞け」(エレミヤ22・29)