歯が抜けた

きのう、フランスパンを食べていて、前歯が一本抜けた。抜けたが入れ歯だから、歯医者さんがすぐくっつけてくれた。「歯が抜けたよう」とは、あるべきものがなくなり寂しい表現だ。
「歯」にまつわる言葉は多い。「歯が浮くような」は軽薄で不快な話。「歯に衣(きぬ)を着せぬ」は遠慮なくずけずけ言う態度。「歯が立たない」はとても対抗できない。「切歯」は「歯噛み」と同じで歯を食いしばってくやしがること。「歯の根が合わない」は恐怖や寒さでおののくさま。面白いのは老子の言葉の「歯亡び舌存す」。固いものが先に亡び、柔らかいものが返ってあとまで存続する意味。
聖書にも「歯」は出てくる。一番有名なのが「目には目を、歯には歯を」だ。他人の目を潰したり、歯を折った者は自分の目や歯で償わなくてはならないという戒めだ。
ところがイエスは、驚いたことに、加害者と被害者の立場を逆転させる。加害者が償うべき教えををひっくり返し、被害者が加害者に対し損害請求権を放棄せよと教える。それが「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」「下着を取ろうとする者には上着をもとらせなさい」だ。そこがイエスのすごいところ。読み方が違う。
「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない」(マタイ5・39)