ほめてから叱るイエス

子どもや、部下を育てるコツがある。まず「ほめる」、つぎに「叱る」、最後に「励ます」。この順序がいい。「君はよくやった、才能がある」、「しかし、ここはまだ足りないね」、「しっかりやりたまえ」。
よくない順序は、最初に、だめじゃないかと「叱る」、そのあと、しかし、これはいいと「ほめる」、終わりに、がんばれと「励ます」。
最初にガミガミ叱られれると、「わたしにも言い分がある」とむっとする。するとつぎのほめ言葉も上の空だ。しかし始めにほめられると、つぎのお叱りも素直に聞ける。
驚いたことに、2000年前、イエスは、この「ほめる」「叱る」の順序で教育されている。あの罪ある女性がファリサイ派シモンの家で、イエスの足を涙で濡らし髪の毛で拭いた時、シモンが心で女性を娼婦とおとしめた時だ(ルカ7章)。
まずイエスはやさしい質問を出す。500万円と、50万円の借金を棒引きされたら、どちらの人が喜ぶか。「額が多いほう」と答えさせ「答えは正確だ」と「ほめる」。
ついでシモンを「叱られる」。君は洗足の水をくれなかった。接吻の挨拶もしない。頭にオリブ油もぬらなかった。つまり、ほめてから叱られる。最後の「励まし」は、女性へのゆるしの言葉にふくまれる。「あなたの信仰が<わたしの力を引き出して>あなたを救った」。
「この女性が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」(ルカ7・47)